「命の雫」裁判確定で陸自幕僚長が遺族に謝罪

2013年04月16日

 「命の雫」裁判とは、陸上自衛隊真駒内基地における徒手格闘訓練中に死亡した自衛官・島袋英吉さんの遺族が、国を被告として提起した損害賠償請求事件である。同裁判については去る3月29日、札幌地裁で国に対して約6,500万円の支払いを命ずる判決があり、被告国は控訴せず、一審判決が確定した。

 昨日(4月15日)午後3時ごろ、防衛省から私の議員居室に一通の文書が届けられた。その文書には、「命の雫」裁判が確定したので、(1)賠償金を速やかに支払いができるよう弁護団と調整中、(2)本日夕方メドに陸自幕僚長他がご遺族に対する謝罪に伺う予定、であること等が記されていた。


4月16日付沖縄タイムス(左)と琉球新報

 4月16日付の地元二紙によると、君塚栄治陸上自衛隊幕僚長らが原告遺族宅を訪ね、仏前に焼香し、謝罪したようだ。
 私は、君塚幕僚長らが直接遺族宅を訪ね、謝罪したことは一定評価する。遺族の父・島袋勉さんも「きちんと謝罪してくれたことは良かった。少し肩の荷が下りた気がする」と語っている。(沖縄タイムス
2006年11月21日、当時20歳だった沖縄出身の自衛官亡島袋英吉さんが、初任地として赴任した陸上自衛隊真駒内基地内で、徒手格闘訓練中に死亡したことについて、両親ら遺族が国の責任を問う裁判を札幌地裁に起こしており、2013年3月29日に原告勝訴の判決が言い渡されました。
 判決後に、弁護団が声明を出しておりますので、以下に掲載いたします。

           声   明
                                            2013年3月29日
                                            「命の雫」裁判弁護団 

 札幌地方裁判所は、本日、「命の雫」裁判(陸上自衛隊真駒内基地徒手格闘訓練死事件)について、原告勝訴の判決を言い渡した。
 本裁判は、2006年11月22日、当時20歳だった自衛隊員の島袋英吉さんが、徒手格闘訓練中に相手方に投げられ、急性硬膜下血腫及び外傷性くも膜下血腫で亡くなった事故につき、自衛隊の責任を問うものである。
 遺族原告らは2010年8月3日に提訴し、以後、本件訓練に関与した3名の自衛官の安全配慮義務違反及び亡英吉の遺体に残された傷害の痕跡等から、訓練の目的を超えた有形力の行使の存在について主張・立証を行ってきた。
 裁判所は、自衛隊の徒手格闘訓練について、「旺盛な闘志をもって敵たる相手を殺傷する又は捕獲するための戦闘手段であり、その訓練には本来的に生命身体に対する一定の危険が内在」するものとして、徒手格闘訓練の危険性について言及した。
 その上で、訓練の指導者は、「訓練に内在する危険から訓練者を保護するため、常に安全面に配慮し、事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負う」とし、このことは、徒手格闘訓練が自衛隊の訓練として行われる場合であっても異なるものではないと認定した。
 本件訓練の指導者たる自衛官Fは、受け身の習熟度の低い英吉さんが投げ返しに対して適切に受け身をとることができず、頭部を打ち付ける危険性があったことを十分に予見しながら、訓練相手たる自衛官Aに対して英吉さんに対する投げ返しを認めたことにつき、指導者としての注意義務に違反する過失があったとして、原告らの主張を認める判断を行った。
 しかし、英吉さんの遺体に生じた多数の不自然な損傷については、通常の訓練ないし医療行為によって生じた可能性があるとし、訓練の目的を逸脱した有形力が故意に行使されたか否かについては否定した。
 裁判所が、訓練に関与した自衛官らの故意責任を排斥したことは遺憾であるが、本判決は、自衛隊の徒手格闘訓練の危険性について初めて判断した初めての判決である。また、慰謝料については両親固有の慰謝料も認めた上で、高額な金額を認定している点で、画期的な勝訴判決であると考える。さらに、不法行為に基づく損倍賠償請求の消滅時効の起算点について、原告らの主張とおり、原告らが現実に損害及び加害者を知ったのは黒塗りがない調査報告書等を入手した平成20年8月頃であるとし、被告の主張を排斥した点も妥当である。
 また、本判決が、自衛隊内での訓練における安全管理の杜撰さを指摘し、国の責任を認めたことの意義は極めて大きく、深刻な反省を迫るものである。
 判決は、概ね妥当なものであり、被告である国は、亡くなった本人と遺族の苦しみを真摯に受け止め、控訴することを断念すべきである。
 そして、このような痛ましい事件が自衛隊内で繰り返されることのないよう、国として万全の対策を講じ、再発防止に向けた取り組みを徹底すべきである。

※ 「命の雫」とは
 遺族は、なぜ希望に溢れていた息子が命を落としたのかを明らかにするべく、英吉君の生涯の軌跡を『命の雫』(文芸社)と題する書籍にまとめ、出版しました。「命の雫」裁判は、この書籍の題名から名付けられました。